東静岡1998 パチプロ回顧録

1998年~2000年までの静岡市のパチンコ屋事情を記す懐古的ブログ。
グーグルストリートビューをメインに、1998年からの静岡市の記憶を辿る。

2015年06月

たまにはパチンコ屋以外の面影も追ってみたいと思う。

ファミリーマート 曲金店
(現在:スーパーコンコルド駐車場入口)



南幹線から少し入ったこの場所にファミリーマートがあったのだ。

当方の住居から一番近いコンビニで、駐車場へ向かう途中にあり、朝早く遠征に出かけるときに飲み物を買ったり、疲れて帰ってきた時に弁当を買ったり、よく利用していた。

L字の小さな店舗だった。




今はここから100mぐらいのところにスーパーマーケットやサークルKが出来ているが、当時は夜に惣菜や弁当を買えるところと言ったら、このファミリーマートと天神屋ぐらいしかなかったのである。

閉店ギリギリまでパチンコ屋で打ち、へとへとになりながら自転車を漕いで自宅に戻り、ここで買った弁当を食って一日を終える。

今思えばそんな不健康な日常も、今はただ懐かしい。



今回紹介するのは、静岡市豊田町にあった銀座会館豊田第1店。

銀座会館豊田第1店
(現在:ソーサレアホール豊田)

 


1998年頃の設置台数は、パチンコ240台、スロット72台計312台

交換率は、パチンコ45個2.27円)、スロットは5枚(等価

この時期の一般的な交換率である。


このホールはたまに通ったので思い出深い。

クリーム色とグレーの縦縞の制服(うろ覚えだが)が懐かしい。

時々とんでもなく釘が開いている台があったりして驚いたものだ。

スロットはごく一般的な状態で特別良くはなかったが、パチンコは客付きが良く、なかなか繁盛していたように思う。


スロットの新台入替にはよく並んだ。

当時は新台入替ではほどほど出してくれていたのだ。

新台入替だけをめぐるだけでも食っていけた時代だった。

普通に裏物が導入されたり、なかなかアツいホールであった。

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2000年代後半になってコンコルドグループに吸収されたが、程なくして店を閉じた。

今は葬祭会館が建ち一切の面影をなくしたが、背後にあるビルに、隣にあるスーパーに、つい当時を思い出す。

今もまだジャラジャラチーンと賑やかな音が聞こえるようである。





今回は店舗名不明のホール。

不明店 静岡曲金
(現在:クリエイト静岡曲金店)



当方の住まいから静岡市南地域のパチンコホール密集地(豊田町近辺)に通う途中にあったホール。

当時からして客が入っておらず、設置機種もかなり古め。

誰がどう見ても打ちたいと思えないホールだった。

それでも静岡に越してきた時に様子見で入ってみたが、それ以外では一度も入ることはなかった。


しばらくは営業をしていたようだが、2000年~2010年の間のどこかで休業した模様。

その後解体されて現在のクリエイト静岡曲金店が建った。

早朝、自転車でこの店の脇道を走って通った以外、特段思い入れも無いホールだったが、それでもそこにあるべき1998年の風景であった。



1998年~2000年までの静岡市近辺をパチンコ屋を中心に振り返る当ブログ。

今回はいこい曲金店

プレイランドいこい曲金店
(現在:解体されて集合住宅が建っている)



1998年頃の設置台数はパチンコ280台、スロット64台の合わせて344台の中規模店。

このホールは現在はない。

いつ潰れたのかも不明だ。

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ここはコンコルド曲金と同じで、ホールと駐車場が一体化した建物だった。

当時はホールと駐車場を一緒に建てるのが流行っていたんだろうか?


コンコルド静岡曲金店(現在のスーパーコンコルド)にも近く、どちらかというとこちらのほうが立地が良さそうだったのだが、あまり客付きが良くないホールだった。

恐らく、椅子がとても座りにくいからだったと思われる。

というのは冗談ではなく、ここは背もたれが硬い三角形の奇抜なデザインで、長い時間座っていられなかったのである。


1998年の交換率はコンコルド静岡曲金店と同じく、パチンコ45個2.27円)、スロットは5枚(等価

当時はこれが一般的な交換率だったと記憶している。

客付きが悪いせいか、新台入替時はそれなりに出してくれる店だったので、当方も新台入替後に限ってよく打ちに行った。

座りづらい椅子のせいでの腰の痛みと、猛暑の折にひときわキツイ冷房に汗じみた背中がひんやりと冷たかった記憶がやけに残っている。



まずは当方の住居に近かったこの店から。

コンコルド静岡曲金店
(現:スーパーコンコルド)



1998年の設置台数は、パチンコ322台、スロット180台の合わせて約500台程度。

敷地の多くが平面駐車場で、敷地の一角にゲームセンターを擁し、ホールの2階以降も駐車場だった。

今のようにでかでかと敷地を使っておらず、店舗敷地の南の端から東静岡駅やグランシップが見えるぐらいであったが、当時としてはそれでも超大型店舗であった。


1998年の交換率は、パチンコ45個2.27円)、スロットは5枚等価)。

しかしながら当方はこの店であまり打っていないのて店内の記憶が殆ど無い。

南側にスロット、それ以外がパチンコであったように思う。

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この店の印象は、とにかくシブかったことである。

パチンコもスロットも共に。

しかしその割に固定客が多かった。

何故こんなにシブい店に客が集まるのだと不思議だった。

なので当方はここで実践したことはほとんどない。

精々、最新機種の新台入れ替えの時に打ったぐらい。

それもパチンコならボーダーにすら届かない台ばかりで、その内新台入替にすら行かなくなった。


当時は入れ替え前日は休業。

当日は早朝に並び順に入場順抽選。

当時としては大きいホールだったという以外特筆するものはなし。

普通のパチンコ屋という印象。


1998年当時はやたらと新台入替を頻繁に行っていた。

一見してこれでは開けられないし設定も置けないだろうと思えるぐらいの頻繁さだった。

今はどうなのだろうか。



世にグーグルストリートビューなるものが登場してしばらく。

昔住んでいたところや馴染みの土地の「今」を見るのが私は好きである。

変わらない街並みには変わらない空気が、変わった街並みにも昔の面影がある。

つい懐かしい気持ちに浸ってしまう。



当方は1998年の11月から、現在の静岡市の東静岡駅付近を根城としてパチプロとして生計を立てていた。

今より17年も前のことである。

そしてそれから17年後の今、この街にも変わらない風景があり、変わった風景の中に消えようのない面影が残っていた。


このブログでは、現在の静岡市の風景から、1998年~2000年までのパチンコ屋事情などを私の記憶を元にお気楽に書いていく。

パチンコやスロットやパチプロに興味がなくても、17年前の静岡市はこんな感じだったなあと、気楽に見てもらい、懐かしく思ってもらえたら幸いである。


ちなみに当方、名無しである。

頃合いを見てニックネームなりなんなりを決めていく。

では適当にお気楽によろしくお付き合い願いたい。


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